Jun 28, 2011
シンガポールの海外ホテルでの経験
2年前にシンガポールを訪問しました。初の海外旅行だったので緊張終わりでした。そんな中で泊まったのがオーチャードロードの近くにある某海外ホテルだったのですが、やはり日本とは違うんだなと実感する経験をしました。部屋に案内され、荷物を置いてさて、観光に行こうかと部屋を出るとドアの鍵がかからないよ。ホテルの鍵はオートロック外部からのカードキー列のタイプムンイオトダジマン、鍵など必要なく、開いてしまいます。これは大変だということで、前面に出て一度は再度してもらったが、それも滞在中に何回も故障して壊す。日本だったら部屋を変えてくれるのですどのような取り組みを与えるが、その海外のホテルでは、通常、そのまま、それを繰り返す予定滞在期間を終了しました。それまで、日本のサービスの質が良いというから、特に意識をしたことはなかったが、この時から日本のそれぞれの接客サービスを受けるたびに、ああいい国だと実感しています。海外にして、ここに滞在先を決定し、現地でホテルを決定することができます。 "海外ホテル"安いところは治安が悪いというイメージがあるが、そんなことはありません。心配なら、日本人が経営している"海外ホテル"もあり、治安の悪い場所のホテルでなければ、本当に安くて良いホテルが多いと思います。
圧倒的な存在感で数々の映画、ドラマに出演し、人気を集めた俳優の原田芳雄(はらだ・よしお、本名同じ)さんが19日午前9時35分、上行結腸がんによる肺炎のため、都内の病院で死去した。享年71歳。今月16日には、主演映画「大鹿村騒動記」(阪本順治監督)が公開されたばかりだった。アウトローの役者として最後まで現役にこだわり、再びカメラの前に立つことを願って闘病を続けていたが、その思いは、ついえてしまった。
自らが企画し、主演した「大鹿村騒動記」の公開から、わずか3日。ファンの元に作品が無事届いたことを見守るようにして、原田さんが逝った。
5月4日に「―騒動記」の舞台となった長野・大鹿村で行われた試写会では元気な様子を見せていた原田さんは、関係者によると、帰京後すぐに入院。その後、何度か生死の境をさまよったが、その度に「また映画に出たい。来年の誕生日には、ライブをやって歌いたい」と、不屈の精神力と復帰への強い意志で、乗り越えてきた。亡くなる前日まで意識があり、元気な表情を見せていたが、この日になって急変。そのまま帰らぬ人になったという。
最後の公の場となった今月11日の完成披露試写会の舞台あいさつも、担当医からは「出席は99%無理」と言われていた。それでも、力を振り絞って車椅子に乗り登場。声を出すことができず、共演した石橋蓮司(69)が代理であいさつ文を読むと、大粒の涙を流した。降壇時には、観客に手を合わせ、深々と一礼。自らの死期を悟ったかのように、ファンに向け“最後のお別れ”をしていた。
2008年10月に初期の大腸がんが発見され、手術。当時は1か月の休養で復帰したが、実際には長い間抗がん剤治療で転移したがんと闘っていた。昨年11月の「―騒動記」のロケでは、がんの痛みが全身に回り、食事がのどを通らない時もあったほど。それでも豪雨のシーンでは、酷寒の中、大量の水を浴びて撮影。スポーツ報知のインタビューでは「寝ても覚めても映画という感じだった。終わった後も、夢の中にいる気分だった」と、撮影の思い出を喜々とした表情で話していた。
この日の午後2時46分、原田さんの遺体は都内の病院から自宅へと無言の帰宅。所属事務所のスタッフから「お帰り!」の声がかかると、事務所の後輩らからは大きな拍手が起こった。長男のミュージシャン・原田喧太(41)は「最後までの役者魂の凄(すご)さには本当に頭が下がります。役者 原田芳雄の魂は永遠生き続けますので、これからも応援宜(よろ)しくお願いします」とコメント。夜には、阪本監督が仕事先の韓国から緊急帰国。悲しみの対面をした。関係者によると非常に落胆しており、言葉が見つからない状態だという。
◆葬儀日程
▽通夜 21日午後6時。
▽葬儀・告別式 22日正午。いずれも東京都港区南青山2の33、青山葬儀所で。喪主は長男・喧太(けんた)氏。
◆原田 芳雄(はらだ・よしお)本名同じ。1940年2月29日、東京生まれ。高校卒業後、サラリーマン生活を経て63年に俳優座養成所入り。その後に座員となる。67年、ドラマ「天下の青年」でデビュー。映画初出演は68年「復讐の歌が聞える」。71年、俳優座を退座後はテレビ、映画を中心に活躍する。89年に「どついたるねん」、04年には「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」「ニワトリはハダシだ」で報知映画賞助演男優賞を受賞。他の代表作に「寝盗られ宗介」(92年)、「鬼火」(97年)など。03年、紫綬褒章を受章。
【関連記事】
桃井かおり悲痛「芳雄が、芳雄が…」見舞いのため帰国当日に訃報…原田芳雄さん急死
自宅で亡骸囲み酒宴 桃井かおりら50人笑って別れ…原田芳雄さん急死
俳優の原田芳雄さんが死去
原田芳雄、急きょ欠席…映画「大鹿村騒動記」初日舞台あいさつ
原田芳雄 、 上行結腸 、 大鹿村騒動記 を調べる
映画、ドラマなどで広く活躍した原田芳雄さんの死に芸能界に衝撃が走った。40年近くの付き合いになる女優の桃井かおり(60)は本紙の電話取材に「今は言葉にならない」と電話口でむせび泣いた。見舞いのために米ロサンゼルスから帰国した成田空港で訃報を耳にしたという。映画「どついたるねん」でボクサーから俳優に転身した赤井英和(51)、代表作「ツィゴイネルワイゼン」の鈴木清順監督(88)らも名優の死を惜しんだ。
容体の悪化を聞いて、見舞いのために帰国した桃井を待っていたのは、悲しすぎる知らせだった。
電話口から、いきなりすすり泣きが聞こえる。「芳雄が…、芳雄が…。飛行機を降りたら…、亡くなったと聞きました…」と、声もとぎれとぎれだった。
原田さんが長い闘病の末に体を弱らせていることは、桃井が暮らすロサンゼルスでも耳にしていた。東京、ロスで半分ずつ過ごし、何度も飛行機で往復している桃井だが、今回は仕事なし。友人でもあり、先輩でもある原田さんへの思いだけだった。「ずっと悪いとは聞いていたんです。(石橋)蓮司と相談しました。見舞いに行けば、体力も気も使わせてしまうから、病院には行かなくてもいいと思っていた。病院近くから、強いエネルギーを送ろうと思っていたのに…」と話した。
付き合いは40年近くになる。73年の原田さんの主演映画「赤い鳥逃げた?」(藤田敏八監督)で主人公の弟分のブルジョア育ちの恋人役で共演した。幼少期から習ってきたバレエをやめ、映画デビュー。その後、参加した文学座とも意見の相違から離れて、女優として勝負をかけたのが、この自身3作目の映画だった。
若いスタッフ、キャストと毎晩のように映画論議をする中、原田さんとは名前で呼び合う関係に。毎年12月末に都内の原田宅で行っている餅つき大会の常連になるなど年の差、男女の差を超えて、友情を育んできた。
「今はこれ以上、話すことができません…。すみません」。原田さんの早すぎる死を受け入れられることができない様子で、空港から原田さんの自宅に直行した。
【関連記事】
原田芳雄さん、71歳で急死…激ヤセ舞台あいさつから8日
自宅で亡骸囲み酒宴 桃井かおりら50人笑って別れ…原田芳雄さん急死
俳優の原田芳雄さんが死去
原田芳雄、急きょ欠席…映画「大鹿村騒動記」初日舞台あいさつ
桃井かおり 、 原田芳雄 、 ロサンゼルス を調べる
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.