Jan 30, 2009
旅行好きなら会員制リゾートを使用していませんか
旅行好きで、いつも旅行をしていくことができるなら、何度も存在を見聞きしたことがあると考えています会員制リゾートスタイル。年中旅行に出かけるから時分割提案、会員制リゾートは、私たちに適していないと思う。と考えでしたら、いいえ、そんな方々にもご使用と思います。一定期間、自由に利用できるのは、旅行でも、自由に水路につながるからです。海外旅行時に悩んだのが海外旅行保険加入の有無と言うものだった。会社も多く、価格も内容も違う。比較にも時間はあまりないしで迷ってしまった。幸いだと言っていいのか、手持ちの旅行本のいくつかの海外旅行保険を扱う会社が掲載されていたので、そこから比較して利用することにした。たくさんあれば選択するだけで一苦労だ。
【ぶらり東海ナビ】千年の歴史を持つ愛知県瀬戸市の瀬戸焼は、陶磁器の総称「瀬戸物(せともの)」の言葉を生んだ。地名の瀬戸は、陶所(すえと)が転じたとされ、古来やきものとのゆかりが深く、今も伝統を受け継ぐ地だ。市街地には、長年の窯業で不要となった窯道具で築いた民家の塀や壁の「窯垣(かまがき)」が風情を醸し出し、この地で生産されたやきものを販売する大小の店が並ぶ。9月10、11両日、第80回「せともの祭」が市内一帯で催されるが、目玉は「せともの大廉売市」で、例年約50万人が訪れるという。市最大のイベントを前に、やきものの里を歩いた。(中部総局 山根忠幸)
■本業焼と新製焼
市街地を流れる瀬戸川沿いに、寺社建築を思わせる2階建ての建物がある。壁面は、やきもののまちらしく陶製のタイル張りだ。瀬戸観光案内処「楽椿(らくちん)」で、中野順子店長は「もともとは交番。全国でも珍しいデザインです」と話す。
移設した交番の建物を案内処として活用し、1階はみやげ品コーナー、2階がギャラリー。瀬戸陶芸協会の作家60人のぐい呑み約100点がそろうのが、自慢のひとつという。やきものの狛犬(こまいぬ)を手にした従業員の小川知子さん(64)が「ここの狛犬は、一方が開いた口で幸せを呼び込み、もう片方はそれが逃げないように閉じているのです」と教えてくれた。阿吽(あうん)の土地土地の解釈だろうが、それも含めて旅の楽しみだ。
せともの祭は昭和7年、磁祖とされる加藤民吉の遺徳をたたえて始まった。民吉は、地元の窯神(かまがみ)神社にまつられ、せともの祭は、その神社の祭礼という。今年、80回記念を迎えたが、「廉売市は、目的にあったやきものを見定めて購入する傾向にある」(川合佐・市まるっとミュージアム課職員)そうだ。かつての大量購入から、多種多彩なやきものを1点ずつ見極める人が多くなったという。
やきものは、一口に陶磁器と呼ばれるが、瀬戸には千年の長い歴史に培われた陶器と江戸期からの磁器の2つの大きな流れが今も厳然と残る。民吉は江戸期、九州の肥前有田の磁器製法の導入と発展に貢献した人物で、瀬戸の窯元の次男に生まれた。伝統の陶業を営む窯元は、長男が家業を継ぐ「一子相伝制」を厳格に守っていた。このため、民吉は名古屋で新田開発に携わったが、その際に磁器研究をしていた尾張藩熱田奉行の目にとまり、この道に入ったという。
当時、瀬戸の磁器製法は未熟で、民吉は先進地の肥前で修業。文化4(1807)年に帰郷し、肥前磁器の釉薬(ゆうやく)の調合法などの製法を伝え、これが基で瀬戸の青一色で水墨画を思わせる染付絵などの磁器が飛躍的に発展したとされる。
磁器導入で、瀬戸焼に2つの流れと呼び名ができた。本来の陶業(窯屋、窯元)を長男が一子相伝で継ぐ「本業(ほんぎょう)焼」と、磁器生産を次男らが自由に手がけた「新製焼」あるいは「染付焼」だ。時流に乗った磁器生産には、本業焼からの転業もあり、生産量も瞬く間に増加したという。
窯を模した社の窯神神社境内には、その民吉の銅像が建立され、今につながる瀬戸焼の隆盛を見守っている。
■瀬戸繁栄は粘土
窯神神社の駐車場からは、広大な陶土や珪砂(けいしゃ)の採掘場が望める。荒々しくも美しい景観から通称「瀬戸のグランドキャニオン」と呼ぶそうだ。
「瀬戸がやきもの産地として繁栄する最大の特徴は、粘土に恵まれていたこと」。こう話すのは瀬戸蔵ミュージアムの武藤忠司専門員だ。瀬戸の粘土は、よく伸びて成形しやすく、焼くと白くなり、高温でも崩れない耐火度があるという。
平安期に始まる「六古窯」(愛知県の瀬戸と常滑、福井県の越前、滋賀県の信楽、兵庫県の丹波、岡山県の備前)では、瀬戸以外は“土味”で勝負。瀬戸だけは釉薬をかける施釉(せゆう)陶器で名をはせた。陶工たちのたゆまぬ努力と技法の確立が、瀬戸をメジャーとした。
ところで、瀬戸焼の歴史には、複数の説があり、どれもうなずけるのだが、武藤専門員は「発掘調査で、現在の瀬戸市域で確認されている最古の窯が、平安期の約千年前のもの。ここから、瀬戸のやきもの史は千年となります」と説明する。現時点では、これが科学的で受け入れやすい。平安期の瀬戸では斜面を利用した窖窯(あながま)が築かれ、植物の灰を釉薬とする灰釉(かいゆう)陶器が焼かれていたという。
一方、瀬戸焼1300年説もある。古墳期から中世までの窯跡約千基が確認されている国内最大級の窯業遺跡「猿投窯(さなげよう)」は、瀬戸を含む尾張東部の丘陵地に広がる。ここで焼かれた須恵器に日常的に自然釉がかかる7世紀末ごろが、瀬戸焼の始まりという説だ。
また、瀬戸焼の特徴を決定づけるのは、鎌倉期から室町期まで約300年にわたり生産され、中世で唯一の施釉陶器だった「古瀬戸」。それゆえ、古瀬戸時代がスタート時点とする考え方も提起されている。いずれにしても千年前後の長い歴史が、現在の瀬戸焼に息づいているのは間違いない。
■伝統の窯場
窯垣の小径(こみち)と呼ばれる狭い道が、市中心部に近い洞町にある。山すそに整備された幅1間(1・8メートル)、延長約400メートルの起伏の多い道だ。谷間の町は、古くから山の斜面に多数の窯が築かれ、瀬戸焼の主産地であった。道は、てんびん棒で陶磁器を運んだ担ぎ手らが盛んに往来していたという。道沿いにある「窯垣の小径資料館」のガイド、中井俊一さん(71)は「窯道具は、長年使用すれば壊れますが、窯の中で自然釉がかかり、美しい色合いにもなります」といい、「窯垣はそうした老朽化、破損した道具を積み重ねて築かれた」と説明する。
道具は、窯内の製品の保護や積み込むための粘土製で鉢形の「エンゴロ」や板状の「タナイタ」、柱となる「ツク」など。窯垣は、道沿いのあちこちで見られる。また、山にはムクノキの大木が多いが、てんびん棒を作るために植えられたという。
明治初期の本業の窯元宅を改修した資料館は、洞町のやきものの歴史が感じられる構成で、町で作られた江戸期から昭和初期の陶器、明治から昭和にかけての磁器などが紹介されている。
近くに瀬戸随一の伝統を誇る「瀬戸本業窯」の窯場がある。江戸期に磁器が台頭するなかで、やきもの本来の本業・陶器を追求してきた。現当主は、7代の水野半次郎さん(58)。「半次郎」は、代々の当主に引き継がれてきた。8代を継ぐ雄介さん(32)も、研鑽(けんさん)に励んでいる。
水野さんは「やり方は、江戸期の本業と同じ。土も釉薬もゼロから作っていく」と陶法をかたくなに守ってきた。土は“はね土”が原料の本業土を、半年以上寝かして利用。灰釉の基になるマツ灰も、長期間をかけて各種工程をすべて手作業で行う。見た目で判断したが、ざっと軽トラック1台分のマツ材で、灰釉はどんぶり鉢1杯程度しか仕上がらないという。まさに気の遠くなるような手間をかけて準備し、陶器は作られている。ここでは古瀬戸を代表する色彩「黄瀬戸」などを生み出しているが、水野さんは「(実用性を備えた)人様が喜ぶ器」を基本としている。
また、思想家の柳宗悦らが大正15年、提唱した民芸運動との関わりもある。6代の半次郎の時代、陶芸家のバーナード・リーチや浜田庄司らが窯場を訪れ、本業窯を高く評価し親交を深めた。「用の美」に代表される民芸の精神は、本業窯が受け継いできた基本理念と共通するものだった。民芸の心は、いまも本業窯に生かされているという。
窯場には、4連房の登り窯が保存されている。昭和54年まで利用され、最盛期には14連房の巨大な登り窯だったという。
市街地から離れた山中にあるが、古瀬戸が焼かれていた時代の窯跡がある。国史跡「小長曽陶器窯跡」(瀬戸市東白坂町)で、室町期に築かれた窖窯で、江戸期に再利用されていたという。保存状態はよく、窯本体を保護する覆(おお)い屋も設置され、外からの見学もできる。昭和46年に指定されたが、その後の調査で工房跡や灰原が見つかり、これらは平成14年に追加指定された。陶器生産の一連の工程や場所がわかり、一見の価値がある。
現地には、車を利用するしかないが、史跡への道入り口に小さなスペースがある。正式な駐車場ではないので、すすめられないが。その横の細い谷川に、多数のサワガニが見られたのは思わぬ幸運だった。ただし、すぐにアブが集まってくるので注意。
ところで、窯場では何昼夜も火がたかれる。時間に追われる職人が食べていたのが、ご飯とおかずが一緒になった五目飯という。地元では「ごも飯」と呼んでいる。また、ウナギも職人の栄養補給に好まれ、市内にはウナギ屋が目立つ。そのひとつ「田代」(伊藤信子さん経営)のうなぎ丼は絶品だった。目の前で伊藤和裕さん(40)が、ウナギを素早くさばいて串打ち、ただちに炭焼きへ。熱い身を素手で握り、筋を伸ばしたあとは、「焼き具合は目でみて」とタレに向かう一連の動作は、職人技だった。
【瀬戸蔵ミュージアム】 愛知県瀬戸市蔵所町1の1。瀬戸焼の歴史や窯場などが体系的に展示されている。分かりやすい構成なので、ここから市内散策に向かうと理解が早い。入館料は一般500円、高校・大学・65歳以上300円、中学以下無料。名鉄瀬戸線の「尾張瀬戸駅」から、東に徒歩5分。車は名古屋から約1時間。開館時間は午前9時から午後6時まで。休館日は年末年始(12月28日〜1月4日)と月1回程度の臨時休館。
問い合わせは、(電)0561・97・1190。▽瀬戸観光案内処「楽椿」(電)0561・84・1997。▽瀬戸本業窯(電)0561・84・7123。▽せともの祭=瀬戸商工会議所内の大せともの祭協賛会(電)0561・82・3123。
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